浜口美和の画家としての活動記録を「前編」と「後編」に分けてご紹介しています。
今回の「後編」では1995年から2016年までの約20年間を記載いたしますのでご高覧いただければ幸いです。
世紀末に向け画家として多種多様な活動を実施
年譜 | 1995年から2001年まで |
1995年 | 第7回国際美術大賞展出品【大賞】受賞 第一回朝日チューリップ展出品 ┗【優秀賞および評論家賞】受賞 朝日A展出品 Art Journal vol.4とvol.6掲載 ┗((株)アートジャーナル社) |
1996年 | 朝日チューリップ展受賞作家展出品 ┗(於朝日アートギャラリー) 朝日A展出品 国際美術大賞展常任委員展出品(画廊企画) 現代の静物画展出品(天満屋美術画廊企画) Art Journal vol.9掲載((株)アートジャーナル社) ARTPOLITAN5月号掲載(アートポリタン(株)) 1997年公式卓上カレンダー製作(アートポリタン(株)) ┗[~2002年まで毎年] |
1997年 | 企画個展(於銀座三越) 企画個展(於倉敷天満屋) 新大田区百景「新田神社」を描く[F20] 日本大手航空会社で作品「春の旋律」買い上げ[F10] ┗成田空港VIPルーム掲載 海外向サマーカレンダー製作(アートグラフ(株)) アートクッション製作(アートポリタン(株)) 美の奇跡展出品【芸術大賞】受賞(於フィレンツェ) 第3回日本の美術 アートアカデミージャパン出品 ┗【アートフォーラム賞】受賞(於東京国際フォーラム) ART GRAPH3月号に掲載(アートグラフ(株)) ARTPOLITAN9月号掲載(アートポリタン(株)) 美術の窓4月号「フォーカス」掲載((株)生活の友社) |
1998年 | Japanese Art Group Exhibition In SOHO ┗招待(於CAST IRON Gallery) 企画個展(於大阪三越) 第10回国際美術大賞展出品【功労者賞】受賞 ライティング・アート展(於有楽町マリオン) 海外芸術交流協会展出品 ┗【女流アーティスト金賞】受賞 |
1999年 | 企画個展(於渋谷東急本店) 企画個展(於船橋東武) アートネットアカデミー展出品 第5回日本の美術 アートアカデミージャパン出品 ┗【Paris Top ART賞】受賞(於東京国際フォーラム) Japanese Art Group Exhibition In SOHO ┗(於CAST IRON Gallery) 日本ポーランド国交樹立80周年記念展出品 ┗【記念大賞】受賞 「ヌーベル・ルネッサンス秀作選集」収録 世界美術年鑑~Sermadiras~「花の部表紙」掲載 美術の窓1月号「20世紀美術セレクション」掲載 美術の窓5月号「展覧会フォーカス」掲載 ┗((株)生活の友社) |
2000年 | 「日本の美-富士山」掲載(美術年鑑社) 現代日本の美術[美術の窓の年鑑](生活の友社) ┗[~2008年?] |
1995年日本選抜美術協会が主催する国際美術大賞展で4度目の受賞となる「大賞」をいただきます。
翌年画廊企画で開かれた「国際美術大賞展常任委員展」に出品していることから、このあたりで常任委員を拝命していると思われます。
その後浜口美和は常任理事という職責になるのですが、それにもかかわらず2001年に国際美術大賞展及び日本選抜美術協会から退会してしまいます。
その理由は明確には解りませんが浜口美和としては「海外で展覧会を開く」ことを望んでいたため、その点から多くの賞をいただきながらも会を離れた可能性があります。
1995年の朝日チューリップ展は銀座にある朝日アートギャラリーで1995年から2004年まで10回開催されたチューリップをテーマとした公募展になります。[1]
[1]登竜門「 第10回 オランダ紀行朝日チューリップ展」 https://compe.japandesign.ne.jp/ap/01/art/oranda10/
ただし2005年に主催していた株式会社朝日興発が朝日新聞グループの再編統合により無くなってしまったことで終結したようです。[2]
[2]朝日新聞販売サービス株式会社「会社概要」 http://www.asahi-ahs.co.jp/company.html
また1995年の朝日A展ですが、これも朝日アートギャラリーで2007年頃まで開催されていて、朝日新聞社とは何かしらの関係があったと思われますが終了してしまいます。
1996年の現代の静物画展(天満屋美術画廊企画)につきましては「浜口美和個展・グループ展等アーカイブ」でご紹介していますのでそちらをご参照いただければ幸いです。
浜口美和は1996年から翌年版の卓上カレンダーを製作し始めます。製作会社は2回替わるのですが2006年までの11年間と2012年の計12回に渡り作り続けることになります。
この目的は一つには個展などで販売する意図があったと思われますが、概ねは宣材として配ることで自分の作品を紹介することにあったようです。
製作数は確認中ですが最小ロットで作成していたと思われます。
なお一度辞めてから再度作っているところを見ると、それなりに需要はあったと思われます。
卓上カレンダーの内容につきましては「浜口美和卓上カレンダーアーカイブ」をご参照いただければ幸いです。
新大田区百景は「区内の生活・環境・文化の変遷を知る資料として1997年に122展制作されています[3]が浜口美和は「蒲田地区の作品」のなかの「新田神社」[4]を担当しています。
新大田区百景はプロの画家だけではなく、小中学校の現役もしくは辞められた先生方も担当されているのですが、浜口美和は恐らく大田区在住画家協会に所属していたために選ばれたのだと思います。
[3]大田区HP「大田区ギャラリー」 https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/gallary/index.html
[4]新大田区百景「新田神社」 https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/gallary/kamata/nitta.html
1997年大手企業で初めて作品の買い上げがありました。画商を通じての売買だと思いますが、画家人生のなかでは2002年にもう一度別の会社で買い上げがありましたが数少ないうちの一つになります。
絵が売れるという事は画家にとっては有難い事だと思いますが、浜口美和の場合は入ってきたお金は溜め込むのではなく、1997年はどこに配布したのか解りませんが「海外向けサマーカレンダー」を製作したり、「アートクッション」をどくのらい作ったかも解りませんが製作している他に、「ART GRAPH」「ARTPOLITAN」「美術の窓」の3誌に作品掲載をしたりしていて、入ったものはすべて広告宣伝費に使ったしまった雰囲気です。
浜口美和はプロの画家ではありましたが、同時に主婦でもあり生活費のために稼ぐという事は必要が無く、入ってきたお金をすべて使ってしまっても生きて行くには困らない環境であったことは確かです。
同世代の女流画家の方々の中には同じような境遇の人も居られたかもしれませんが、そうでは無い方から見ると羨まれるものだったかもしれません。
1997年にフィレンツェで開かれた「美の奇跡展」で芸術大賞を受賞します。Google検索すると数名の方の経歴でヒットするのですが主催については解りませんでした。
更に株式会社クオリアートが運営する公募展第3回日本の美術 アートアカデミージャパンでアートフォーラム賞を受賞しています。なお翌々年の第5回でもParis Top ART賞を受賞することになります。
1998年ニューヨークにあったCAST IRON Galleryで開かれたJapanese Art Group Exhibition In SOHOに招待で出品します。主催は解りませんが翌年も同じグループ展に出品していますので実際に開催されたものと思いますが、グループ展そのものをGoogle検索しても見つける事はできませんでした。
Google検索で「Cast Iron Gallery New York」を調べると「Cast Iron Gallery についてはこの場所での営業が終了していると記録されています。」と出てくるので現在ギャラリーは閉業になっています。
またmantaという「アメリカの中小企業を再発見するサイト」によるとCast Iron Galleryは1990年創業である事が解ります。[5]
[5]manta https://www.manta.com/c/mmzlk8n/cast-iron-gallery
さらにREHOLDという「不動産ナビゲータ」のサイトで住所を調べると居住履歴からCast Iron GalleryのCEO(最高経営責任者)はJoseph Himoko氏であることが解ります。お名前のところのリンクをクリックすると旧姓や家族構成が推測できるような情報が表示されているのですがどうやら日本の方のようです。[6]
[6]REHOLD https://rehold.com/New+York+NY/MERCER+ST/159
アメリカでは結構な居住者情報がオープンになっている事は少し驚きです。
1998年株式会社クオリアートが主催するライティング・アート展に出品しています。
当時のライティング・アートはガラス絵に裏からライトを当てるという手法での作品になりますが、作品としては2点ほど現在も残されています。
1998年は第10回国際美術大賞展で功労者賞を受賞します。これが国際美術大賞展における最後の受賞になります。
また同じ年に海外芸術交流協会展に出品して女流アーティスト金賞を受賞しています。
海外芸術交流協会はGoogle検索で協会事態のホームページを見つける事はできませんが、海外芸術交流協会は美術誌ARTEXを主導監修したという宣伝記事を見つけました。[7]
この美術誌ARTEX(アルテクス)は1998年から5年後の2003年または2004年まで発行されていましたが、この美術誌の出版社は株式会社美研インターナショナルになりますので[8]両者は結びつきがあったものと思われます。
[7]雑誌のオンライン書店「ARTEX (アルテクス)」 https://www.fujisan.co.jp/product/1281680201/
[8]国会図書館リサーチ「Artex」 https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004175656-00
なお海外志向の浜口美和でしたが海外芸術交流協会との接点はこれだけだったようです。
1999年世紀末の年になりますが、アートネットアカデミー展に出品します。
Google検索をした範囲では、アートネットアカデミー展は株式会社ヤマキノが開催していた公募展で海外での開催がおもだったようです。
いつから公募展を開催していたかは解りませんが1996年から2004年まで不定期(年1回程度)でアートネットアカデミー(Artnet achdemy)という美術誌をヤマキノのアートメディア事業部が編集をしてアテネ書房から発売されていました。
この雑誌は2003年にVol.7として10周年記念号[9]を発行した後は出版されていないので、2003年頃公募展も終結したものと思われます。
[9]紀伊国屋ウェッブストアー「アートネットアカデミー<VOL.7>」 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784871522281
同じく1999年に日本ポーランド国交樹立80周年記念展[10]に出品をして記念大賞を受賞しています。日本・ポーランド交流史に大規模な展覧会が実施されたことが記されています。
[10]駐日ポーランド共和国大使館「日本・ポーランド交流史」 https://tokio.msz.gov.pl/ja/bilateral_cooperation/politics/tokio_jp_a_284/
1999年以降、美術誌や書籍に数多くの掲載をしています。
詳細につきましては「浜口美和掲載美術誌アーカイブ」及び「浜口美和掲載書籍のご紹介」をご参照いただければ幸いです。
朱葉会委員就任後も衰えぬ海外志向
年譜 | 2001年から2005年まで |
2001年 | 一枚の絵3月号「花便り」掲載 一枚の絵別冊Vol.72「わたしのモチーフ」掲載 第81回朱葉会展【委員】推挙 企画個展(於上野松坂屋) 「日本の美-桜」掲載(美術年鑑社) 埼玉県庁「埼玉自治の表紙」掲載 ┗[F130響き合う光と風] 第17回東京二紀展【佳作賞】受賞 ┗(於東京都芸術劇場) 東京二紀多摩展(於コート・ギャラリー国立) 東京二紀受賞者展(於池袋ギャラリールポリエ) ボージョレ・ヌーヴォー・アート展出品 ┗(於東京国際フォーラム) |
2002年 | 一枚の絵5月号「女流作家の仕事」掲載 第6回日仏現代作家美術展出品(於大森ベルポート) ┗【委員】推挙 名証1部上場自動車部品メーカーの新築社屋ロビー向け ┗[天空への序曲(50F)]他2点買い上げ 2003年卓上カレンダー制作(美術公論社) ┗[~2005年まで] 海外個展「Miwa Hamaguchi Winter Garden」 ┗(於CAST IRON Gallery ニューヨーク) 第8回日本の美術 アートアカデミージャパン出品 ┗(於上野の森美術館) 日中文化交流協会会員になる ┗[~少なくとも2005年まで] |
2003年 | 個展(於銀座) 第7回日仏現代作家美術展出品(於大森ベルポート) 一枚の絵7月号「おんなの表情」掲載 「女性画家の全貌」掲載(美術年鑑社) 2004年版東和銀行企業カレンダーに採用 |
2004年 | 一枚の繪-青の魅力展出品(於ギャラリー一枚の繪) 一枚の絵5月号特集「青の魅力」掲載 埼玉県庁「埼玉自治の表紙」掲載 ┗[S100自然との会話風の旋律] 21世紀美人画展【優秀賞】受賞 アートジャーナル世界ギャラリー【東京大賞】受賞 第8回日仏現代作家美術展出品(於大森ベルポート) 2005年版東和銀行企業カレンダーに採用 |
2005年 | Art Meets Music – New Year Concert ┗自然賛歌(椿の刻)出品 一枚の繪-音楽しらべの情景展出品 ┗(於ギャラリー一枚の繪) 一枚の絵2月号特集「うちの猫 隣の猫」掲載 一枚の絵11月号特集「音楽の調べが聴こえる」掲載 ガラス絵展(於遠鉄百貨店) ギャラリー彩オープニング展出品 (於ロサンゼルス) ┗SAI ORIENTAL ART CORPORATION 2006年卓上カレンダー制作(美術の杜出版(株)) ┗[~2007年と2013年] 「アーティストが表現する花」掲載 「アーティストが表現する人物」掲載 ┗((株)アートボックスインターナショナル) |
浜口美和は2001年の第81回朱葉会展で委員に推挙されます。ある程度規模が大きな美術団体では初めて委員になった訳ですが既に年齢的には70歳付近であり、画家人生の終盤に差し掛かってからという事になりました。
また同じ年に埼玉県出身である浜口美和の作品が埼玉自治の表紙に採用されたようです。
残念ながらGoogle検索では見つける事はできませんでしたが、2004年にも再度採用されたという記録が残っています。
この年は二紀会の支部組織である第17回東京二紀展で「佳作賞」を受賞しています。記録としては受賞した年しか残されていませんが東京二紀展にどくのくらの期間出品していたかは現在調査中です。
なおこの年に開かれた東京二紀多摩展と東京二紀受賞者展にも出品しています。
またこの年は「ボージョレ・ヌーヴォー・アート展」にも出品をしています。左写真はその時のワインボトルになります。主催はvintage art clubだったようなのですが、Google検索で見つける事はできませんでした。
なおワインの生産者はLeon Grivelet Cusset(レオン・グリヴレ・キュセ)になっています。
2002年日仏現代作家美術展に出品をします。日仏現代作家美術展には2008年から2011年の間は現在確認中ですが2014年(最後の出品)まで毎年出品しています。
なお初回の出品で委員に推挙されているようです。
詳細につきましては「浜口美和が所属した主な海外志向美術交流団体の遍歴」をご参照いただければ幸いです。
この年、1998年と1999年にグループ展が開かれたニューヨークSOHOにあったCAST IRON Galleryで海外では初めてとなる個展「Miwa Hamaguchi Winter Garden」を開催しています。
どのような経緯で開くことになったのかは解っていませんが、今後何か状況が解れば内容を更新して参ります。
2003年度版卓上カレンダーの表紙に書かれている所属団体に日中文化交流協会会員が記載されています。
それ以前には記載がないのでカレンダーを制作した2002年に会員になったと思われます。
なお2006年以降は制作会社が美術の杜に変更となり所属団体の情報は載せなくなった関係でいつまで所属したていたのかは?調査中です。
なお月刊で発行されている日中文化交流協会会報誌の2003年8月No683号に浜口美和自身による「自然との会話(大地の鼓動)」の作品とともに漢詩に関する話が掲載されています。
左図をご参照いただければ幸いです。
2003年ですが東和銀行の2004年版企業カレンダーに浜口美和の作品が採用されます。
最近2018年頃からはアライグマのラスクルを使った東和銀行のカレンダーやノベルティーはフリマサイトにあげられていて人気があるようです。
なおGoogle検索していたところ東和銀行企業カレンダーは1999年から2002年までの4年間小暮真望さんという著名な版画家が担当されていたようです。[11]
[11]小暮真望の版画工房 http://www.shinbo-k.com/index.php?page=profile.php
浜口美和は2005年版までの2年間採用されました。
なお年譜2004年にある黄色いラインマーカーを付けた経歴につきましてはGoogle検索では情報を得ることができなかったものです。
今後紙の資料が見つかれば内容を更新して参ります。
同じく2004年のアートジャーナル世界ギャラリーでの東京大賞の受賞ですが、これも明確な内容は把握できていませんが季刊誌アートジャーナルの夏号での誌上企画と思われます。
これも詳細が解りましたら内容を更新して参ります。
2005年のArt Meets Music – New Year Concertに自然賛歌(椿の刻)を出品しています。
場所は解っていないのですが期間としては1/15日から22日の一週間になります。
Google検索したところ演奏者の側で東京音楽大学准教授荒尾岳児氏のresearchmapに記載があるのを見つけました。[12]
もしかすると株式会社美研インターナショナルがプロモーションに関わっているのかもしれません。
[12]researchmap「荒尾岳児」 https://researchmap.jp/read0119313/
同じく2005年のギャラリー彩オープニング展ですが、SAI ORIENTAL ART CORPORATIONがロサンゼルスのカワダホテル内にギャラリーがオープンした時の展覧会のようです。
現在はホテル内のギャラリーは無くなっているようですが、企業のオープンデータベースopencorporatesに掲載されているSAI ORIENTAL ART CORPORATIONのBranches(支店)を見ると2003年にカワダホテルのある住所に支店を開いたことが解ります。[13]
[13]opencorporates https://opencorporates.com/companies/us_nv/C34531-2001
設立は2001年、社長はYOSHIYUKI TAKESAKI氏[11]で日本の方だと思いますが現在会社としては「永久取消」という状態になっています。これも詳細が解りましたら内容を更新して参ります。
二紀会と決別し海外での負けられない戦いにのぞむも..
現時点で2006年以降は、浜口美和本人が書き残した記録は見つかっていません。
従いまして下記のような情報を元に年譜をまとめています。
- 雑誌に載せられた経歴
- 個展・グループ展などの案内状やそこに書かれている経歴
- その他残されている資料類など
- インターネットでの検索
そのため2006年から2011年までは内容的に薄くなっている部分がありますのであらかじめお含み置きいただければ幸いです。
年譜 | 2006年から2016年まで |
2006年 | 第10回日仏現代作家美術展出品(於大森ベルポート) 一枚の絵12月号「アートショップ」掲載 |
2007年 | 「Flower Garden」浜口美和展 ┗(於銀座ART BOXギャラリー) 第11回日仏現代作家美術展出品(於大森ベルポート) ┗【大田区長賞】受賞 「現代日本の絵画 vol.3」掲載 ┗((株)アートボックスインターナショナル) |
2008年 | 一枚の絵4月号特集「室内の親密な空間」掲載 美術の窓9月号「現代作家のベストセレクション」掲載 ┗((株)生活の友社) |
2009年 | 「ARTBOX vol.5 ふるさとを描く」掲載 ┗((株)アートボックスインターナショナル) |
2010年 | 朱葉会秋季選抜展に出品(於銀座アートホール) 第15回日本の美術 全国選抜作家展出品 ┗(於上野の森美術館) 第13回日中桂林書画連合展「佳作賞」受賞 BM Vol.22春号「時代を昇華する春麗女流作家大賞」 ┗掲載(美術の杜出版(株)) |
2011年 | 一枚の絵別冊「人気画家コレクション2011年版」掲載 一枚の絵8月号特集 ┗「花ものがたり・夏を彩る-幻想の花」掲載 第65回二紀展[最後の出品] |
2012年 | ヨーロッパの知らない美しき日本展【美術館長賞】受賞 ┗(於モンパルナス美術館) 海外個展(上海2回、ニューヨーク1回) 第16回日仏現代国際美術選抜展(於大森ベルポート) 美術の窓9月号「アートの力を考える!PART3」掲載 ┗((株)生活の友社) 一枚の絵別冊 ┗「人気画家コレクション2012年度版」掲載 2013年卓上カレンダー製作(美術の杜出版(株)) |
2013年 | 2013 Heart Art in TOKYO【東京都医師会賞】受賞 ┗(於国立新美術館) 一枚の絵6月号創業45周年記念 ┗「人気画家181人の一枚の絵」に掲載 ジャパンフェア・ラーテノウ展【グランプリ】受賞 ┗(於ドイツ)ラーテノウ芸術センター永久所蔵 第17回日仏現代国際美術展(於東京都美術館) 「現代日本の絵画 vol.6」掲載 ┗((株)アートボックスインターナショナル) |
2014年 | 第18回日仏現代国際美術展(於東京都美術館) ┗[最後の出品] 一枚の絵6月号「人気画家162人の一枚の絵」掲載 第94回朱葉会展[最後の出品] BM Vol.34春号「現代の巨匠」表紙に名前掲載 ┗(美術の杜出版(株)) |
2015年 | 一枚の絵6月号「人気画家155人の一枚の絵」掲載 |
2016年 | 第30回大田区在住画家展[最後の出品] |
2007年に日仏現代作家美術展で始めて大田区長賞を受賞します。2008年から2011年まで出品を続けたかは現在確認中です。
2010年に日中桂林書画連合展に出品をして佳作賞を受賞します。
有限会社風月舎のホームページ掲載されている記事に書かれた回数から逆算すると日中桂林書画連合展の第1回は1998年で2014年まで17回開催されたようです。[14]
[14]風月舎「過去のイベント」 https://www.fugetsusha.com/index.php?data=./data/cl8/
なおオルモックエンタープライズ株式会社の記事によると第15回日中桂林書画連合展では風月舎は主催者の一員に位置付けられています。[15]
[15]オルモックエンタープライズ株式会社 http://orumok.jp/第十五回日本・中国桂林書画連合展-2/
2011年第65回二紀展が浜口美和にとって最後の出品となります。
1965年から47年間出品してきましたが、同人から上に昇ることはできませんでした。
なお退会した理由は同人制度がこの年で廃止され翌年から準会員制度に変更されることによるものだと推察しています。
なお二紀会での経緯につきましては『浜口美和「二紀展」出展作品集』をご参照いただければ幸いです。
2012年モンテパルナス美術館で開かれた「ヨーロッパの知らない美しき日本展」で美術館長賞を受賞しています。
展名でGoogle検索すると複数の作家が出品されていることが解るのですが、その中で「なごや ひろし」氏の画歴紹介のページに主催が「 (株)カラフルカルチャーツアー」であったことが書かれていました。[16]
[16]なごやひろし「主な画歴」 http://userweb.pep.ne.jp/h-nagoya/index-j.htm
「株式会社カラフルカルチャーツアー」に関して検索をしても登記情報以外見つける事ができませんでしたので、こぢんまりとした会社なのだと思われます。
同じ年の海外個展(上海2回、ニューヨーク1回)につきましては雑誌経歴に記載されているものの詳細が解っておりません。解り次第内容を更新して参ります。
2013年に「2013 Heart Art in TOKYO 第16回エイズチャリティー美術展」に出品をして東京都医師会賞を受賞しています。主催は一般社団法人Heart Art Communicationです。[17]
[17]Heart Art Communication「過去展覧会」 http://h-a-c.net/past/domestic_detail_eo000000042.html
出品した理由は恐らく社団法人が海外でも展覧会を実施していたからだと思われますが、その後につなげることは叶いませんでした。
同じく2013年ジャパンフェア・ラーテノウ展でグランプリを受賞しラーテノウ芸術センター永久所蔵となります。
この展覧会の正式名称は「ブランデンブルグ・ハーベルランド・ジャパンフェア・ラーテノウ展」で2009年からドイツのラーテノウに暮らす寺田琳がプロデュースして開催された公募展で、主催はラーテノウ市のようです。[18]
なお2013年にラーテノウ市では日独文化交流でいくつのかの美術展が開催されていて、寺田氏も2つ手掛けているのですがそのうちの一つが上記展覧会になります。[18]
[18]JYAG Blog「ドイツ側宣伝開始」 http://jyag.jp/blog/?paged=5
2014年は朱葉会展、日仏現代国際美術展ともに最後に出品した年となりました。
同年美術の杜出版社が発行する季刊美術雑誌「BM」の表紙(左図赤枠)に「現在の巨匠」として名前が載っています。
2015年は絵を描こうとして一日アトリエにこもってはいたものの筆が進まない状況であることが続いたようです。
ただしそのような中でも一人で銀座の画廊巡りをすることはできたようですが、そのうち買い物に出かけると一度買ったものを何度も買って帰ってくるようになり、病院で受診をした結果、病であることが判明します。
そのため2015年、2016年の大田区在住画家展へは昔描いた絵をほぼほぼ手を加えることなく出品しています。
絵を描かなければならないという思いとは裏腹に何も描くことができない現実との狭間で、病が原因のところもありますがとても怒りやすい状態の時期があり、一緒に暮らしていた父は苦労したようです。
なお現在は二人で同じ高齢者住宅に住み、安寧の日々を送っています。