浜口美和本人は国内ですらほとんど旅行に行くことはなく、特に飛行機は乗るのが怖いと考えていたので海外にいったのは2・3回程度だったと思います。
海外志向美術交流団体のなかには、現地視察をするツアーが組まれる場合もあるのですが、浜口美和の場合は当然参加することはできず、そういう意味では交流団体の人脈に溶け込み難い面があったのかもしません。
ましてや外国語を話せたわけでもないのですが、それにもかかわらず自分の絵を海外の人に見て貰いたいという気持ちだけは人一倍強かったようです。
ただ現時点ではどのような絵を出品していたか?につきましては解っていませんが、もうしばらくお時間をいただき内容を更新して行行きたく存じます。
海外に絵を出品する目的
最終的に海外出品で何がしたかったのかは明確には把握できてしませんが、いくつかの海外向け美術交流団体を渡り歩きながら、なおかついろいろな国際公募展に出品したり海外でのグループ展・個展を開催するなどの活動はしたのですが、恐らく本人は満足が行く結果は得られないまま終わることになったと推察致します。
海外向けの初めての出品が二紀会での蹉跌が決定的となる1976年であることからすると、「自分の絵を評価してくれる人を海外に求めた」という風に捉える事ができるかもしれません。
二紀会の件につきましては『浜口美和「二紀展」出展作品集』をご参照いただければ幸いです。
なお海外に目を向けることになるもう一つの要因としては、当時二紀会に所属されていた後藤よ志子氏が第1回日仏現代美術展に出品されたことにも影響を受けているのかもしれません。[2]
なお日仏現代美術展はフランス パリと日本での国内巡回展がセットで開催されて1975年から1994年まで20回行われた模様です。
[2]東京文化財研究所「後藤よ志子」 https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10446.html
ただし自分から海外に出向き海外に住んで活動するわけではなく、日本で暮らしていてとなるとインターネットがまだ普及していなかった時期には容易ではない目的だったはずです。
また筆者は芸術に詳しくはありませんが、1980年以降の海外における現代絵画のムーブメントにマッチした作品だったのか?気になるところです。
アートペディアによると海外における芸術の潮流は1970年代後半は「新表現主義」がもっとも流行して1980年代中ごろまでマート市場において主流となっていたようです。[3]
これは1970年代以前の観念的な「コンセプチュアル・アート」や禁欲的な「ミニマニズム」に対する反発から生まれ[4]、具象的絵画の復権[5]の流れになるようです。
[3]Artpedia「新表現主義」 https://www.artpedia.asia/neo-expressionism/
[4]大日本印刷artscape「新表現主義」 https://artscape.jp/dictionary/modern/1198387_1637.html
[5]朝日新聞社コトバンク「新表現主義」 https://kotobank.jp/word/新表現主義-844416
そのようなムーブメントはあったのかもしませんが、これは持論になりますが日本人が海外公募展に出品するケースでは具象よりも抽象の方が評価を得易いように感じます。
これに対して浜口美和は具象作家であり、しかも基本的には日本人画家は具象作家の方が多い認識で、そうなると海外で評価を受けるのは至難の業であったことと推察致します。
欧州美術クラブ「国際公募 美術賞展」日本国際美術家協会(1981年発足)
欧州美術クラブは1973年に創立されその年に第1回の「国際公募 美術賞展」がフランスで開催されます。なお創立者は馬郡俊文氏になりますが、残念ながら2011年に永眠をされています。[6]
[6]「欧州美術クラブとは」 https://www.obijias.co.jp/about/
浜口美和は下記のような年に出品をしたという記録が残っています。なぜ欧州美術クラブに出品することになったのか?の経緯につきましては解っていませんが、当時海外での展覧会を実施している美術交流団体は少なかったことと存じます。従って一番目にとまり易かったのが欧州美術クラブだったのではないか?と推察致します。
- 1976年スペイン美術賞展
- 1977年スイス美術賞展
- 作品がプチパレ美術館に収蔵
- 1978年イタリア美術賞展
- 1979年ギリシャ美術賞展
- 1981年フランス美術賞展
- この年に日本国際美術家協会が発足しますが創立者は欧州美術クラブになります。[7]
なお浜口美和は第1回日本国際美術家協会選抜巡回展に出品し会員に推挙されます。
- この年に日本国際美術家協会が発足しますが創立者は欧州美術クラブになります。[7]
- 1982年カナダ美術賞展
- 1984年オーストリア美術賞展
- 1991年ペルー美術賞展
- 日本国際美術家協会ビエンナーレ(於銀座セントラル美術館)
[7]「日本国際美術家協会」 https://www.obijias.co.jp/jias/
1991年を最後に以降は記録されていないので、出品をしていない認識です。
その理由は解りませんが、その翌年から別の美術交流団体への出品に切り替えているので、何か果たせぬ思いがあったのかもしませんが、結局浜口美和は「国際公募 美術賞展」で賞を得ることはできませんでした。
国際現代美術家協会「i.m.a.展」
実は欧州美術クラブに所属したいた終盤にあたる1986年から1988年まで、国際現代美術家協会が主催する公募展である国際現代美術展(i.m.a.展)に招待出品をしたという記録が残っています。なお招待となった経緯につきましては解っていません。
国際現代美術家協会は1981年の設立ですが、母体は1962年に設立された県展を主催している神奈川県美術家協会になります。[8]
[8] 国際現代美術家協会「About ima」 http://www.ima1981.org/about.html#about
浜口美和の出品は3年で終わりを告げてしまいますが、その年の海外展に出品したのか?は確認できましたら内容を更新いたします。
なおi,m,a,展は現在も続いていて来年(2020年)第45回の公募展を東京都美術館(第12回から同じ場所)で開催したします。[9]
[9] 国際現代美術家協会「Top page」 http://www.ima1981.org/
日本選抜美術家協会「国際美術大賞展」
国際美術大賞展は1989年に創立された全国公募展で小品のジャンルが設定されています。
2007年第19回開催時に日本選抜美術協会展であった日選展と一本化されて第33回国際美術大賞展と改められ[10]東京都美術館で開催されていますが、その際に「国際文化交流に寄与する目的により開催」と謳われています。[11]
2019年に第45回国際美術大賞展が東京都美術館で開催されています。[12]
[10]日本選抜美術家協会「協会の歩み」 http://www.nissenbijutu.jp/about/index.html
[11]駐日韓国文化院「第33回国際美術大賞展」 https://koreanculture.jp/info_event_view.php?page=104&number=1407&cate=&keyfield2=&keyfield3=&key=
[12]日本選抜美術家協会「ニュース」 http://www.nissenbijutu.jp/news/index.html
国際美術大賞展は海外での展覧会ではなく日本で開催されているのはなぜか?というと、持論にはなりますが「国際文化交流に寄与する」目的から後援に各国大使館が参加しているために「国際」と付けられている認識です。
創立者は永森信一郎氏ですが2013年に永眠されています。2009年から会長は荒井嘉蔵氏[13]、2015年は穂森豊氏[14]、2016年からは磯島志津子氏[15]が務められています。
[13]駐日韓国文化院「第35回国際美術大賞展」 https://koreanculture.jp/info_event_view.php?page=83&number=2296&cate=&keyfield2=&keyfield3=&key=
[14]第41回 国際美術大賞展 全入賞者作品ーその1ー http://www.nissenbijutu.jp/exicibiton1/2015/2015_03.html
[15]磯島志津子の世界「プロフィール」 http://artiso.sakura.ne.jp/#profiles
浜口美和は下記のような年に出品をしたという記録が残っています。
- 1992年第4回【ナムラ賞】受賞
- 1993年第5回【美術評論家賞】受賞
- 1994年第6回【東美賞】受賞
- 1995年第7回【大賞】受賞
- 1996年画廊企画で国際美術大賞展常任委員展が開かれてそれに出品をしています。
- 1998年第10回【功労者賞】受賞
恐らく賞を受賞した年の記録しか残されていないようです。そのため明確にいつからいつまで所属していたのかも分かっていません。
ただし個展や雑誌などに記載されている略歴などには1995年は「日本選抜美術協会理事、国際美術大賞展理事」、1997年から2001年は「同常任理事」という風になっているのでどこかでそのような職責を拝命し、少なくとも2001年までは在籍していたものと思われます。
なお浜口美和は2001年に朱葉会委員に推挙されているので一旦職責を整理した可能性はありますが、その後も海外の展覧会には出品を続けているので退会することになった本当の理由は解っていません。
日本の美術 全国選抜作家展(旧アートアカデミージャパン)
株式会社クオリアート(旧株式会社世界文藝社で2012年頃に社名変更)が1995年から運営している公募展[16]になりますが浜口美和はとびとびで4回ほど出品したという記録が残っています。
[16]日本の美術 全国選抜作家展 https://www.qualiart.co.jp/works/detail.php?kijiId=20180615133555
「日本の美術」の開催は東京国際フォーラムや上野の森美術館などで、海外展覧会ではありませんが海外展も運営している会社なので出品していたものと思われます。
- 1997年 第3回日本の美術 アートアカデミージャパン(於東京国際フォーラム)
- 【アートフォーラム賞】受賞
- 1999年 第5回日本の美術 アートアカデミージャパン(於東京国際フォーラム)
- 【Paris Top ART賞】受賞
- 2002年 第8回日本の美術 アートアカデミージャパン(於上野の森美術館)
- 2010年 第15回日本の美術 全国選抜作家展(於上野の森美術館)
2010年が最後の出品になる認識です。
サロン・ブラン美術協会「日仏現代筰家美術展」
サロン・ブラン(サロン・デユ・ブラン)美術協会は1997年に設立された国際文化交流の意図を持つ美術団体で、第1回日仏現代作家美術展を大森ベルポートで開催しています。[17]
[17]サロン・ブラン美術協会「協会概要」 http://www.salonblanc.jp/overview/index.html
創立者の白尾勇次氏は略歴によりますと1980年から1990年にかけて欧州美術クラブが主催する「国際公募 美術賞展」に出品されていて、かつ何度も賞を受賞されています。
また1986年には国際現代美術家協会「i.m.a.展」でも賞を受賞されていて海外志向としては浜口美和と近しいところがあるのかもしれません。[17]
なお日仏現代作家美術展及びサロン・ブラン美術協会はフランス、ドイツ、カナダ、韓国などでの展覧会を実施しています。[17]
浜口美和のサロン・デュ・ブラン美術協会展への出品については下記のような記録が残されています。
- 2002年第6回日仏現代作家美術展 (於大森ベルポート)
- 【委員】推挙
- 2003年第7回日仏現代作家美術展 (於大森ベルポート)
- 2004年第8回日仏現代作家美術展 (於大森ベルポート)
- 2006年第10回日仏現代作家美術展 (於大森ベルポート)
- 2007年第11回日仏現代作家美術展 (於大森ベルポート)
- 【大田区長賞】受賞
- 2012年第16回日仏現代国際美術選抜展 (於大森ベルポート)
- 2013年第17回日仏現代国際美術展 (於東京都美術館)
- 2014年第18回日仏現代国際美術展 (於東京都美術館)
2008年から2011年にかけての出品記録は現時点では確認できていませんが、資料の確認が進みましたら内容を更新して行く予定です。
最後に
ご紹介させていただいた5つの協会や会社以外にも、画商・会社なのか画廊企画なのか国際公募展なのかは不明ですが、海外での個展開催や美術展への出品をしています。
ただし冒頭にも記載しましたが、本人が現地に行ったわけではないのでなかには現時点ではインターネットで調べても検索できないような美術展やアートフェアなどもあり、いまから振り返ると投資に見合う効果があったのか?疑問に思えるものもあります。
なりふり構わず数々の美術交流団体を解り歩いて来た中で、最終的な目的を達することができたのか?は解りませんが少なくとも日本で活動したままで、海外で評価をしてもらう事はごく僅かな範囲でしか実現できなかったはずです。
なお浜口美和の年譜につきましては「画歴のご紹介」でまとめる予定です。
以上最後までご一読いただき誠にありがとうございました。